泥に塗れる鉄の牙。仁作 陸刀が掘り起こす、命の重さと生々しさ

泥に塗れる鉄の牙。仁作 陸刀が掘り起こす、命の重さと生々しさ
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五月の群馬、高崎。市街地の喧騒から離れ、本郷町の裏山へと足を踏み入れると、大気の質感が急激に変わるのを感じる。
昨夜の雨が残した、濃密で、少し生臭い土の匂い。
それは、落ち葉が朽ちて発酵し、無数の微生物が蠢く、地球の「胃袋」の匂いそのものだ。
一歩足を踏み出すごとに、腐葉土が靴底を柔らかく受け止め、微かな沈み込みとともに湿った空気が鼻腔を衝く。……重い。森の空気は、物理的な質量を持っているかのように、僕の肺の奥底へと沈み込んでくる。
見上げれば、春から初夏へと向かう木々が、我先にと日の光を求めて貪欲に葉を広げている。むせ返るような緑の奔流。世界は今、圧倒的な速度と暴力的なまでのエネルギーで「生」を爆発させていた。

人間は、一体いつから「泥」を忌み嫌うようになったのだろうか。
舗装されたアスファルトの上を歩き、空調の効いた部屋で眠る。スーパーマーケットに綺麗に陳列された野菜たちは、あらかじめ泥を洗い落とされ、根を切り揃えられ、土の匂いなど一切しない。
プラスチックのフィルムに守られたそれは、もはや「命」という生々しいものではなく、規格化された「工業製品」のように行儀が良い。
だが、僕たちが口にする本当の「生」は、もっと泥臭くて、グロテスクで、残酷なものだ。
土の下の暗闇では、植物たちが生き延びるために、太く強靭な根を伸ばし、岩を抱き込み、大地を執拗なまでに鷲掴みにしている。
その命のアンカーを引きずり出し、泥を洗い、己の胃の腑へと流し込む行為。それは、明確な「命の収奪」に他ならない。
僕たちは、その残酷なプロセスから目を背け、綺麗な手で食事をすることを「文明の進歩」と呼んできた。
しかし、時折、その白く漂白されすぎた世界に、ひどく息が詰まる時がある。自分の輪郭が、希薄で頼りないホログラムのように思えてくるのだ。
だから僕は、確かな「質量」を取り戻すために、わざわざ泥に塗れるために、この薄暗い森へとやってくる。命を、その根源から、僕自身のこの手で奪い取るために。

僕の右腰には、重厚な革のシース(鞘)に収められた、一本の鈍く光る鉄の塊がぶら下がっている。
それは、焚き火の前で木を細工するための、洗練されたブッシュクラフトナイフではない。ましてや、ショーケースに飾るような美しいダマスカス鋼でもない。

仁作 陸刀(りくとう)
金属加工の街、新潟の燕三条で鍛え上げられた、極めて実用的で、徹底的に無骨な「山菜掘り」だ。
シースから引き抜くと、ズシリとした鉄の重みが右手に伝わる。
三次元的に湾曲した、厚さ数ミリの刀身。その片側には、木の根やツルを力任せに引きちぎるための、荒々しい波刃が刻み込まれている。
刃面には美しい鏡面仕上げなど施されていない。ただひたすらに「大地を穿ち、泥に塗れ、隠された命を断ち切る」という暴力的な目的のためだけに最適化された、泥まみれになるための相棒だ。
柄(ハンドル)は、滑り止めの溝が深く掘られたエラストマー樹脂。汗や泥で手が濡れていても、決して滑り落ちることはない。

目当ての野草を見つけた。
地面にへばりつくようにして、ロゼット状に葉を広げている。その中心の地中深くに、冬を越え、エネルギーをパンパンに蓄えた太く白い根が眠っているはずだ。
僕はしゃがみ込み、陸刀の柄を右手でしっかりと握り込む。
そして、一切の躊躇なく、切っ先を黒い泥の中へと突き立てる。

――ザクッ、ゴリッ。

泥の抵抗。
刃先が小石を削る硬質な感触。
それが、分厚いステンレスの刀身を通して、右手のひらの骨にダイレクトに響いてくる。
決してスマートな作業ではない。刃をテコのように使い、体重を乗せ、手首の関節を軋ませながら、重く湿った泥を強引に押し退けていく。
さらに深く。刃の横に刻まれた目盛りが完全に泥に沈むまで、鉄の牙を地球の表面へと食い込ませる。
すると、刃先が「泥」や「石」とは違う、明らかに有機的な、弾力を持った強靭な抵抗にぶつかった。
野草の根だ。
僕は陸刀の角度を変え、波刃の部分をその太い根の側面に押し当てる。
ギリッ、ブチブチッ、という鈍い音が、泥の底から微かに聞こえる。
植物が何ヶ月もかけて地中に張り巡らせた命のライフラインを、冷たい鉄の力で、容赦なく、力任せに引きちぎる。
刃先で根を断ち切り、テコの原理で泥ごとごっそりと空中に掘り起こす。
この瞬間の、あの重く、生々しい手応え。
それは、魚の首を落とす時や、動物の解体をする時と同じ、命の境界線を強制的に越える、恐ろしいほどの「質量」だ。

泥とともに引き抜かれた太い根からは、ツンとした、野性味溢れる強烈な青臭い匂いが放たれた。
それは植物の血液とも言える、命の揮発性の香りだ。
僕の指先は完全に泥だらけになり、爪の間には黒い土が深く入り込み、額からは脂汗が滴り落ちている。
手にした陸刀のブレードもまた、湿った泥と、植物の体液でどろどろに汚れ、元の金属の光沢を完全に失っている。

この泥の感触。この暴力的なまでの抵抗の重さ。
僕が森の奥深くで求めていたのは、まさにこの圧倒的な「抵抗」なのだ。
命を手に入れ、喰らうということは、決して容易いことでも、綺麗なことでもない。
土を深く掘り、爪を汚し、筋肉を酷使し、相手の生きた根を物理的に断ち切るという行為。
陸刀という泥臭い鉄の相棒は、僕にその絶対的な事実を、痛いほどリアルに、手のひらの痛みとして突きつけてくる。
美しく研ぎ澄まされたナイフで、焚き火用のフェザースティックを削る時間も好きだ。
だが、泥だらけの陸刀を握りしめ、地中の太い根と全身で格闘している時、僕は自分が「食物連鎖の環の中に、確かな血肉を持った動物として存在している」という、恐ろしいほどの安心感に包まれるのだ。
僕は今、地球という巨大な生命体の表面を乱暴に引っ掻き、そこから直接、エネルギーを啜り上げている。

掘り出した根の泥を、陸刀の背で大雑把にこそぎ落とす。
傷だらけのブレードは、土に擦れ、地中の岩に当たり、使えば使うほどに細かい線傷が無数に刻まれていく。
だが、その傷の一つ一つが、僕がこの森で泥に塗れ、幾つもの命と対峙してきた時間の味であり、記憶の明確な証明書なのだ。
泥に塗れることを一切拒まない道具。
いや、泥の汚れと傷こそが最も似合う、無骨で、残酷で、そして底抜けに誠実な鉄の牙。

家に帰り、爪の間の泥を洗い落とし、こいつで掘り出した根を調理して喰らう時。
僕の身体の奥底で、あの泥の匂いを持った野性の熱が、青い炎となって静かに燃え上がるのを感じるはずだ。
命の重さは、泥の重さであり、引きちぎる時の痛みの重さに等しい。
その重さと抵抗を手の中に知らずして、生きているとは言えないのだ。
泥まみれの陸刀を革のシースに乱暴に収めると、ズシリとした確かな重力が、再び右腰へと戻ってきた。
僕は泥のついた手をズボンで適当に拭い、まだ見ぬ次の命の痕跡を探して、さらに深く、薄暗い森の奥へと足を踏み入れた。

森で会おう。


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