春の土手で、ヨモギの匂いがした。
指で葉を摘むと、青くて苦い香りが立つ。子どもの頃の団子の記憶と、湿った土の匂いが一緒に戻ってくる。食べられる草は、どこか懐かしい。でも、懐かしいからといって、すぐに口へ入れていいわけじゃない。
僕はしゃがんだまま、ザックから 野草図鑑 を出した。紙の端は少し折れている。何度も開いたページには、土の跡がある。写真と葉の形を見比べる。裏の白さ、葉の裂け方、茎の感触。名前を確かめる。
野草を食べることは、勇気ではない。知ることだ。
名前を知るまで、食べない
野草には似ているものがある。間違えれば危ないものもある。だから、分からないものは食べない。汚れた場所、農薬の可能性がある場所、犬が通る場所でも採らない。これは臆病ではない。命への礼儀だ。
ヨモギの葉を一枚、指でこすった。青い匂いが濃くなる。柔らかい毛の感触が指先に残る。図鑑の写真と、目の前の葉を何度も往復する。僕の中で、ただの草が「ヨモギ」になる。その瞬間、世界が少し近くなる。
持ち帰った葉は、よく洗って、少しだけ湯にくぐらせた。湯気に混じって、春の苦みが立ち上がる。醤油をほんの少し。口に入れると、舌の奥に土の記憶が残る。
野草を食べると、自然を手に入れた気になる人がいる。でも、本当は逆だと思う。こちらが自然の中へ少しだけ入れてもらっている。食べる前に名前を呼ぶのは、その許可を求めるためだ。
図鑑は、宝の地図ではない。境界線の地図だ。ここから先は知ってから進め、と静かに言う。
その声を聞ける人だけが、春の苦みをちゃんと味わえる。
物語の舞台に在るもの
足元の命を、食べる前に正しく呼ぶための小さな先生。
森で会おう。