荷物をパッキングするとき、僕はいつもこの白いマグカップの扱い方に迷う。傷つけないようにパッキング用のクッションで包むべきか、それともそのままザックの隙間に押し込むべきか。結局、僕は後者を選ぶ。旅の道具は、傷つくことでようやく完成すると思っているからだ。
白いエナメルに青い縁取り。あまりにも清潔で、イギリスの伝統的な家庭のテーブルが似合いそうな佇まい。
ファルコンのホーローは、肉厚のスチールにガラス質の釉薬を焼き付けたものだ。だから、陶器のように簡単には割れないが、岩にぶつければガラス質の表面は剥げ、中の黒い鉄が露出する。僕のマグカップの底にも、いくつかの黒い傷跡がある。それはかつて北アルプスの枯れ沢で転倒したときについた傷であり、あるいは東北の湿地帯でザックを投げ出したときに刻まれたものだ。鉄が露出した場所からは、時間の経過とともにわずかに茶色い錆が浮き出てきている。
それを汚いと思うか、それとも愛おしいと思うか。僕は間違いなく、後者だ。完璧に白いだけの道具は、まだ自分のものになっていない気がする。傷がつき、錆び、そこに旅の泥やコーヒーの渋が染み込んでいくことで、マグカップはただの大量生産品から、僕だけの「時間のアーカイブ」へと変貌する。
早朝のキャンプサイト。冷え切った空気のなかでバーナーに火をかけ、沸騰した湯をこのマグに注ぐ。熱伝導率の高いスチールは、あっという間に熱を伝え、マグ全体が素手で触れないほどに熱くなる。縁の青いラインに唇を当てて、熱い紅茶をすする。金属特有の冷たさと、ガラスの滑らかな手触りが同時に唇へ伝わる。チタンやアルミの軽さも悪くないが、このずっしりとした重みと、唇に触れるひんやりとした感覚は、やはりホーローにしか出せない質感だ。
傷が増えるたびに、僕はその道具と過ごした時間を思い出す。傷はエラーではなく、その道具が僕の旅の相棒として機能してきた確かな実証である。だからこそ、僕はこれからもこの白いマグを保護することなく、そのまま荒野へ連れていくだろう。少しずつ欠け、錆びていくその姿に、僕自身の生き方を重ね合わせながら。
森で会おう。
物語の舞台に在るもの
欠けたエナメルに、旅の記憶を宿す頑強な白。