朝の鉄板は、昨日の夜より正直だ。
薄い油を引くと、冷えていた面が光を持つ。パンを置けば、まだ火が弱い場所と、先に熱を抱えた場所が匂いで分かる。バターは縁から溶け、チーズは二枚のパンの間でゆっくり形を失う。
眠い身体には、複雑な料理をする言葉がない。
挟んで、閉じて、火へ置く。
TSBBQ ホットサンドメーカー TSBBQ-004は、二枚のアルミニウム合金を重ねてパンを焼く道具だ。内面はフッ素樹脂加工。二枚は分離でき、片側だけを小さなフライパンとしても使える。閉じれば、両面へTSBBQの焼き目が残る。
焼き目は飾りに見える。
だが僕には、朝が確かにそこへあったという印に見える。
二枚を閉じると、別々のものが一つになる
パンの間へ具材を置く。
昨日の残りの野菜。少し乾いたハム。端だけ残ったチーズ。単独では一食にならないものが、二枚のパンに挟まれる。
ホットサンドは、余り物を隠す料理ではない。
別々だった時間を、一つの温度へ戻す料理だ。
道具を閉じると、パンの耳へ圧がかかる。熱が入り、縁が互いへ押しつけられ、中の具材を抱える。強く閉じればよいわけではない。具を詰めすぎれば溢れ、閉じたはずの境界から油やチーズが火へ落ちる。
重ねることには、限度がある。
記憶も同じだ。残したいものを全部一度に挟めば、形は閉じない。今日の朝に必要なものだけを選ぶ。昨日を捨てるのではなく、いま食べられる厚さへする。
本体はアルミニウム合金で、重量777g、全体の大きさは16×37.4cm。軽量な山道具ではない。ハンドルも含めれば、徒歩で遠くへ運ぶには重さがある。その重さは欠点であり、火の上で道具を返す時の手応えにもなる。
ガス火、ハロゲン、ラジエント、シーズヒーターに対応するが、IHには対応しない。似た形の製品すべてが同じ熱源で使えるわけではない。使う場所の器具を確かめることが、朝食より先にある。
焼き目は、時間を測る時計ではない
片面を火へ置く。
数分というレシピはある。だが火力、パンの厚さ、具材の水分、外気温で焼け方は変わる。ロゴが濃く付くまで待てば、別の場所が焦げることもある。
ハンドルを持ち、道具を返す。777gにパンと具材の重さが加わる。手首へ荷重が移り、蝶番の位置で金属が小さく鳴る。
少し開け、色を見る。
まだ白ければ閉じる。匂いが強くなれば火を弱める。焼き目は完成を自動で知らせる表示ではない。人が匂いと音と色を受け取った結果として残る。
僕は、きれいな焼き目を失敗したくないと思う。
両面へ同じロゴが出て、縁が均一に閉じ、切った時に具材が美しく見える朝。写真に残せる形を目指す。
でも、朝は作品ではない。
少し焦げる。チーズが片側へ寄る。パンの耳が一部だけ開く。それでも温かく、誰かが隣で半分を受け取れば、食事は成立する。
焼き目は評価ではない。
火へ置いた時間の傷だ。
二枚に分かれるから、汚れへ近づける
使用後は二枚を分離できる。
重なったままでは届きにくい縁や溝へ、手が届く。片面ずつ洗い、水分を拭き、完全に乾かす。フッ素樹脂加工を傷つける硬い道具や強い研磨は避ける。
手入れのしやすさは、記憶を消すことに似て見える。
油も焦げも洗い流し、新品のように戻す。だが本当にすべてが消えるわけではない。外側には火の色が少しずつ残り、ハンドルには握った手の癖が生まれる。洗うたび、残す傷と落とす汚れを選ぶ。
道具を清潔にすることは、過去を否定することではない。
次の朝を迎えられる形へ戻すことだ。
セパレートした片面は、小さなフライパンになる。卵を焼き、残った野菜へ火を入れる。二枚で一つの役割を持つ道具が、離れた時には別の仕事をする。
一緒にいることだけが、関係の完成ではない。
離れて使えること。洗う時に手放せること。乾いた後でまた重ねられること。その往復が、道具を長くする。
食べ終えれば、焼き目は身体へ移る
焼き上がったパンを半分に切る。
刃が表面を割る音。中から出る湯気。溶けたチーズと胡椒の匂い。両面にあった焼き目は切り分けられ、やがて食べられて消える。
写真を撮らなければ、形は残らない。
それでも記憶は残る。
熱すぎて口の中を少し痛めたこと。相手へ大きい方を渡そうとして、同じことを相手も考えていたこと。焦げた端だけが妙に香ばしかったこと。
記憶は、保存された画像だけではない。
身体へ入った温度と匂いである。
TSBBQのロゴは、パンへ一時的な印を残す。永久ではない。食べれば消える。だからよいのだと思う。
残ることを目的にしない印がある。
その朝を受け取り、身体へ渡し、次の空腹が来るまで静かに消えていく。
洗った二枚のアルミを重ねる。金属が乾いた音を立てる。棚へ戻せば、またただの道具になる。
次の朝まで、記憶を焼く準備だけを残して。
半分に切る時、同じ大きさにはならない
ホットサンドを分ける時、真ん中へ刃を入れたつもりでも、二つは少し違う大きさになる。
具材の多い側。焼き目のきれいな側。耳がよく閉じた側。僕は無意識に相手の皿へよい方を置こうとする。
だが相手も同じことを考えていると、皿の上で二つの半分が行き来する。遠慮は優しさだが、受け取らない優しさは食事を冷たくする。
「こっちをもらう」と一つ選ぶ。
その言葉で、ようやく朝が進む。
道具はパンの縁を圧着できても、人と人の気持ちを同じ大きさにはしない。空腹も好みも違う。だから焼く前に、苦手な具材や食べられる量を聞く。半分にすれば平等、ではなく、互いが受け取れる形を探す。
焼き目へ戻る。
二つの半分には、同じロゴの別の部分が残る。離れても、一枚だった朝の痕跡がある。分けるとは、記憶を半分に減らすことではない。二つの身体へ、それぞれ一回ずつ残すことだ。
食べ終えた皿には、パン屑だけがある。形は消えた。それでも相手が熱いと言って笑った声は、道具を洗う間まで残っている。
次に一人で焼く朝、同じ具材を入れても同じ味にはならない。火力も空気も、食べる身体も違う。それでも刃を真ん中へ入れる瞬間、手は一度だけ二人分の幅を覚えている。
記憶は再現ではない。
もういない誰かの分まで皿を出すことでもない。今ここにある一枚を受け取りながら、以前分けた熱が自分の手つきへ残っていると知ることだ。
食べられる朝の焼き目
昨日の残りを挟み、今日の身体へ温度として渡す。
森で会おう。