エンジンのキーを回して、OFFにする。
ドッドッドッという鼓動が止まり、世界が唐突に静止する。
そこは、標高2000メートルの峠道。
ガードレールの向こうには、雲海が海のように広がっていて、その切れ間から深い緑の山肌が覗いている。
風はない。鳥の声もしない。
あるのは、圧倒的な「無音」だけ。
「シーン」という音が聞こえてきそうなほどの静寂。
ヘルメットを脱ぐと、自分の呼吸音だけがやけに大きく響く。
最初は、その静けさが少し怖い。
自分が世界から切り離されて、たった一人ぼっちになってしまったような、心細い感覚。
都会の喧騒に慣れきった耳が、音を探してパニックを起こしているのかもしれない。
でも、そのままじっと動かずにいると、少しずつ感覚が変わってくる。
恐怖が薄れ、代わりに透明な水に浸かっているような、不思議な安らぎが満ちてくるんだ。
僕たちは普段、あまりにも多くの「ノイズ」に囲まれて生きている。
街の騒音、SNSの通知音、誰かの噂話、自分自身を責める心の声。
それらが常に頭の中で鳴り響いていて、本当に大切な音が聞こえなくなっている。
本当の自分はどうしたいのか。
何が好きで、何が嫌いで、何に感動するのか。
そんなシンプルなことさえ、ノイズにかき消されてわからなくなってしまう。
だからこそ、僕らは時々、こうして「音のない世界」に逃げ込む必要があるんだ。
強制的にノイズを遮断して、自分自身と向き合うための時間。
それを僕は「聖域(サンクチュアリ)」と呼んでいる。
この峠道で、僕はただの「サトウ カナメ」に戻る。
ライターでもない、誰かの友人でもない、ただの命の塊。
そうやって余計なものを削ぎ落としていくと、最後に残るものがある。
それが、僕の中の「青い炎」だ。
静かで、でも決して消えることのない、熱い想い。
「書きたい」という欲求、「伝えたい」という情熱、「知りたい」という好奇心。
それらが、静寂の中で鮮やかに輪郭を取り戻していく。
安達さんが言っていた「山犬」という言葉を思い出す。
山犬は、群れることを嫌い、孤独を愛するけれど、決して寂しいわけじゃない。
孤独を知っているからこそ、誰かの温もりを深く理解できるし、大切にできる。
静寂を知っているからこそ、言葉の重みを知っている。
僕がこうして文章を書くのも、あの静寂の中で見つけた「種」を、誰かに手渡したいからなのかもしれない。
言葉は、静けさの中から生まれる。
騒がしい場所で叫ばれた言葉よりも、静寂の底から汲み上げられた言葉の方が、きっと誰かの心の奥底に届くと信じている。
君にも、自分だけの「聖域」はあるかい?
もし見つからないなら、バイクに乗ってみるのもいいかもしれないよ。
あるいは、夜明け前の公園でも、深夜のキッチンでもいい。
世界が静まる瞬間を見つけて、耳を澄ませてみてほしい。
そこにはきっと、君がずっと聞きたかった、君自身の本当の声が待っているはずだから。