お湯が沸く音だけが、部屋に響いている。
コポコポ、という音から、シュンシュンという鋭い音へ。
その変化に耳を澄ませる時間は、贅沢な余白だ。
豆を挽く。
ガリガリとハンドルを回す感触。
香ばしい香りが立ち上り、部屋を満たしていく。
急ごうと思えば、コンビニで100円で買える液体だ。
でも、僕はあえてこの手間のかかるプロセスを選ぶ。
「待つ」ことは、現代では損失(コスト)だと教わった。
でも、本当にそうだろうか。
お湯が適温になるのを待つ。
蒸らしの30秒を待つ。
その「何もしない時間」にこそ、心は呼吸をしているのではないか。
ドリップポットから落ちる細いお湯の線を見つめながら思う。
僕はコーヒーを飲みたいだけじゃない。
この「待つ時間」を味わうために、コーヒーを淹れているのだと。
一口飲む。
苦味の中に、果実のような酸味が広がる。
それは、ゆっくりと時間をかけた者だけに許される、小さな報酬だった。